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静岡地方裁判所掛川支部 昭和46年(ワ)6号 判決

原告

鈴木富枝

被告

山本四郎次

主文

被告は原告に対し、金八一万一、六五三円およびこれに対する昭和四三年七月一日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

原告代理人は、「被告は原告に対し、金三二二万二、七八〇円およびこれに対する昭和四三年七月一日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、次のとおり述べた。

一  原告は昭和四三年六月四日被告との婚約前交際の目的で、被告が保有し、運転する乗用車に同乗し、愛知県の伊良湖海岸観光に行つたが、その帰途、同日午後三時三〇分頃同県渥美郡田原町大字大久保地蔵一九番地先道路上を進行中、被告が運転を誤つたため道路脇の土堤に衝突し、助手席に同乗していた原告は、前額部、鼻部、両膝部各挫創、左前腕、手、左下腿各挫傷、右膝関節部損傷、頭蓋内出血の重傷を負い、同所附近の渥美病院に入院し、同年八月七日まで入院治療を受けたが全治せず、鼻背部の鈍痛、しびれ感、嗅覚減退、頭重感および鼻背部醜状七センチメートル等自動車損害賠償保障法施行令第二条規定の障害等級九級該当の後遺障害が残つた。

原告は、右後遺症のため、鼻内部の痛みがとまらず、天候の悪いときは頭痛がするほか、記憶力が減退し、前記退院後も昭和四五年末頃まで菊川病院に通院して治療を受けたが、右後遺障害は好転しない。

二  原告は、昭和六年二月二六日生れで、事故当時三七才に達し、結婚期は既に過ぎようとしていたが、右事故による負傷のため、被告は原告との婚約意思を放擲して、その後第三者と結婚したが、一方、原告は後遺症のためもあつて、殆んど結婚の見込みはなくなつた。また、事故前、原告は両親とは殆んど生活を別異にし、化粧品および保険の外交員または家政婦的仕事や農手伝等をして生活していたが、右負傷のため労働も中断するほかなくなり、結局右事故のため重大な損害を被つた。原告は昭和四三年末頃掛川簡易裁判所に損害賠償請求の調停申立をしたが、昭和四四年五月不成立に終つた。

三  原告が右事故により被つた損害は次のとおりである。

(一)  逸失利益

事故前、原告は化粧品外交と併行して保険外交に従事し、製茶時期には訴外内田弘に頼まれて生葉摘採の仕事をしたが、この収入は次のとおりであつた。

1  化粧品外交

昭和四三年一月より同年五月まで合計金八万二、四六〇円、平均月収一万六、四九〇円、同年六月は三日間で四、五二五円。

2  保険外交

昭和四二年一〇月頃から昭和四三年五月末頃まで合計金三万五、九二六円、平均月収四、四九〇円。

3  茶

昭和四二年度は、日当一、〇〇〇円の割で合計金四万六、〇〇〇円、すなわち四六日稼働したが、昭和四三年度は日当一、二〇〇円となつたので、右稼働日数を乗ずると、五万五、二〇〇円となる。なお、昭和四三年度は一番茶のみに従事して一万六、八〇〇円を得た。

ところで、原告は事故のため第一項記載の後遺障害が残つたが、特に鼻背部、鼻腔内の痛み、それに伴う頭痛、記憶力減退のため商品を持ち歩いたり、頭部を下げると苦痛を感ずるので、化粧品外交はできなくなり、したがつて、それに併行して行つていた保険外交もやめるほかなくなり、茶の生葉摘採の仕事もできなくなつた。原告は昭和四四年六月から同年九月までモーテルの給仕を勤めてみたが、机ふきや食器洗いに頭を下げるため苦痛を感じ、定食程度の物を持ち運んでも、鼻部、頭部に痛みがくるので、適宜援助してくれた友人がいた間は、どうにか勤務したが、その人が退職したので希望が持てなくなり、自分もやめた事情にある。その後、原告は昭和四五年になつて、魚広料理店に頼まれて勤めたことがあるが、これも右事情のため一時的のものに過ぎなかつた。原告は頭部を下げる仕事ができないので、家事労働力も半減し、結婚の希望も絶たれている。

以上の次第であるから、原告の逸失利益は次のとおりである。

昭和四三年六月から同年末まで

化粧品外交 16,490円×7-4,525円=110,905円

保険外交 4,490円×7=31,430円

茶 55,200円-16,800円=38,400円

右の合計金一八万七三五円

昭和四四年分

化粧品外交 16,490円×12=197,880円

保険外交 4,490円×12=53,880円

茶 55,200円

右の合計金三〇万六、九六〇円よりモーテルの収入一〇万円を控除して二〇万六、九六〇円

昭和四五年分

右三〇万六、九六〇円より魚広の収入二万円を控除して二八万六、九六〇円

昭和四六年分

右三〇万六、九六〇円

昭和四七年一月より同年二月まで

306,960円÷12×2=51,160円

昭和四七年三月以降の逸失利益については、右のとおり原告の事故前の収入を基礎とすると、年収三〇万六、九六〇円、月平均二万五、五八〇円となり、この程度は現在の労働事情に照して最低限の収入と考えられるが、労働能力喪失率は障害等級九級の場合、一般に三五%とされているところ、原告は前記のとおり家庭外の労働は殆んど不可能となつており、家事労働力も半減状態にあることに鑑み、五〇%として計算しても、年間減収額は一五万三、四八〇円となり、極めて控え目であるといえる。因に、家政婦収入をみると、最低一日当り一、八八〇円、これより紹介手数料一八五円を差引き、手取収入額は一、六六五円となるが、月間稼働二四日として月収三万九、九六〇円、年間四七万九、五二〇円、この三五%は一六万七、八三二円であり、外職の意思のある女子は、家事労働も加重されるのが一般であるから、その労働力は少なくとも、家政婦賃金を基礎とする計算が妥当であると考えられ、いずれにしろ、前記減収額一五万三、四八〇円は原告の逸失利益の計算上最低限度の基準額と考える。

そして、原告は統計上からみても、四一才である昭和四七年三月から以後二二年間は就労可能と考えられ、その間の逸失利益につき、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して現価を求めると、二二三万七、七三八円となる。

(306,960円×0.5×14.58)

以上により、原告の逸失利益は合計三二七万五一三円である。

(二)  慰藉料

前記各般の事情に照し、原告の過去・現在・未来に亘る精神的損害を慰藉するため、被告は少なくとも、一〇〇万円を支払うべきである。

以上の逸失利益と慰藉料との合計は四二七万五一三円である。

四  被告の右自動車は、自賠責保険に加入していなかつたため、原告は政府の自動車損害賠償保障事業より損害の填補として七八万円の支払を受けた。

五  よつて、原告は被告に対し、右合計金四二七万五一三円から右七八万円を控除した残金三四九万五一三円の内金三二二万二、七八〇円およびこれに対する損害の発生後である昭和四三年七月一日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として、次のとおり述べた。

一  請求原因第一項のうち、原告主張の日時場所でその主張のような交通事故が発生したこと、被告がその事故車両の保有者であること、右事故が被告の運転上の過失によるものであること、右事故により原告が負傷したことは認めるが、原告の負傷および後遺障害の部位程度は否認する。その余は不知。

二  同第二項のうち、原告の年令と被告がその後第三者と結婚したこと、原告主張の日時頃調停が申立てられ、それが不成立に終つたことは認めるが、その余は不知。

被告が、第三者と結婚するにいたつた経緯は、原告の主張と異なる。すなわち、被告は原告に対して、原告が負傷してからも、退院したら被告のところにきてもらいたいと言い続けてきたのであるが、原告の方からこれに対する返事をしぶる様子であり、その後、原告は被告に対して、他からもらつてもらいたいというようになつたので、被告はやむなく第三者と結婚したのである。

なお、その間の原告の態度のなかには、被告をいわゆる働きのない人物とさげすむような様子がみられたのであり、そのような考え方から、原告自身が被告との結婚を拒否するにいたつたものと考えられるのであつて、最後に、被告が本当に他からもらつてもよいかときいたところ、原告は異存がない旨明言しているのである。原告の方から被告との結婚の話を一方的に破棄していることは、原告本人尋問の際、原告も認めているところである。

三  同第三項のうち、

(一)  逸失利益については、その算定基準(特に本件事故前と事故後の原告の収入、労働能力喪失率ならびにその期間およびその額はこれを争う。

(二)  慰藉料の額は争う。

四  同第四項は認める。被告は、本件事故車両について、自賠責保険に加入していたが、本件事故当時期間満了経過を失念して同保険は失効となつた。そのため、国が賠償金を原告に給付し、被告が国よりその弁償を請求され、現在支払を継続中である。

五  同第五項は争う。

被告訴訟代理人は、抗弁として、次のとおり述べた。

本件交通事故は、原告が被告との観光旅行の目的で被告運転の自動車に同乗中に発生したものであつて、いわゆる好意同乗中の事故であるから、少なくても賠償額の算定にあたつては、相当程度これを斟酌し、減額すべきである。

原告訴訟代理人は、右抗弁に対する答弁として、「被告主張の抗弁は争う。」と述べた。〔証拠関係略〕

理由

一  原告主張の日付場所において、その主張のような交通事故が、被告の運転上の過失により発生したことは、当事者間に争いなく、これと〔証拠略〕によれば、昭和四三年五月頃当時ポーラ化粧品セールスをしていた原告は、被告方に化粧品を売りに行つた際に被告と知合い、互に結婚を考えて交際を始めたこと、被告は昭和四三年六月四日朝自己運転の軽自動四輪車に原告を同乗させて伊良湖方面へのドライブに出発し、伊良湖で昼食をとつて帰途に就き、同日午後三時三〇分ころ同車助手席に原告を乗せて愛知県渥美郡田原町大字大久保字地蔵一九番地付近道路を東進中、長距離運転のため睡気を催したのであるから、直ちに同車を停車させて休息をとり睡気を覚ましてから再び運転をすべき注意義務があるのに、これを怠り、漫然と時速約四五キロメートルで運転を継続した過失により、同所の右カーブの地点で居眠り運転してハンドルの操作を怠り、同車を道路左脇の土堤に激突させたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

そして、被告が右事故車両の保有者であることは、当事者間に争いがないから、被告は自賠法三条により本件事故による原告の損害を賠償すべき義務があることは明らかである。

二  そこで、原告の損害額につき判断する。

(一)  逸失利益

〔証拠略〕を綜合すれば、原告は昭和四三年六月四日本件事故により前額部、鼻部、両膝部挫創、左前腕、手、左下腿挫傷、右膝関節部損傷、頭蓋内出血の傷害を負い、事故現場近くの渥美病院に入院して同病院で治療を受け、同年八月五日同病院を退院し、同月一七日同病院において、鼻背部の鈍痛、しびれ感、嗅覚減退、頭重感等の訴えあるも加療によるこれらの病状の全治は期待できないものとして治癒との診断を受け、その後遺症として鼻背部に醜状七センチメートルを残し、嗅神経に障害を残し、頭重感のため服することができる労務が相当な程度制限されるものとして労働者災害補償保険等級の九級に該当するとの診断を受けたこと、その後、原告の右後遺症は徐々に軽快し、昭和四八年八月当時においては、鼻部に四九ミリメートル長のS字形線状瘢痕および鼻背部皮膚の変色があり、鼻部に挫傷による知覚神経切断後の頑固な神経症状を残し、嗅覚障害として軽度の機能低下が認められるなど前記等級の一一級に該当する程度のものとなつたこと、原告は本件事故前は化粧品および保険の外交員や茶摘みの手伝などをしており、その収入は、化粧品の外交員としてのそれが、月一万六、四〇〇円位、保険の外交員としてのそれが、月一万四、五〇〇円位、茶摘みの手伝によるそれが、年四万六、〇〇〇円位あり、したがつて、原告の本件事故当時の年収は四一万六、八〇〇円位あつたこと、原告は本件事故当時三七才であつたことが認められる。

右認定の事実関係からすると、原告は本件事故を受けて入院した昭和四三年六月四日から治癒との診断を受けた同年八月一七日までの間は労働能力を一〇〇パーセント喪失し、同月一八日から昭和四八年八月一七日までの五年間は前記等級の九級の後遺症が残つているものとして労働能力を三五パーセント喪失し、同月一八日から一〇年間は前記等級の一一級の後遺症が残るものとして労働能力を二〇パーセント喪失するものとみるのが相当である。

そうであるとすれば、原告の本件事故当時の年収は四一万六、八〇〇円であること前認定のとおりであるから、原告の逸失利益の損害は前記昭和四三年六月四日から同年八月一七日までのそれが八万五、五七五円となり、同月一八日から昭和四八年八月一七日までのそれをホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除してその現価を算出すれば、六三万六、六六四円となり、同月一八日から一〇年間のそれを右同様に算出すれば、五五万一、五五一円となり、以上を合計すれば、一二七万三、七九〇円となる。

(二)  慰藉料

慰藉料については、本件事故による傷害の部位程度(後遺症を含む)、その治療経過その他諸般の事情を考慮して、一〇〇万円を以つて相当と認める。

三  被告は、本件事故はいわゆる好意同乗中の事故であるから、賠償額の算定にあたつては、相当程度減額すべきである旨主張するので判断するに、〔証拠略〕によると、原告は被告運転の事故車についての好意同乗者であり、本件事故当日伊良湖方面へのドライブの帰途、長距離運転であるのに、充分休息をとるよう被告に勧告をすることもなく、本件事故時においては自らも居眠りをしていたことが認められ、本件事故発生については原告においてもその発生を未然に防止すべく被告に警告する配慮を欠いていた点に一半の責任があり、当時の原・被告間の関係や前記同乗の状況からみて、原告に生じた損害の全部を被告に負担させるのは衡平を欠くものというべきであるから、前記逸失利益の損害一二七万三、七九〇円と前記慰藉料一〇〇万円との合計二二七万三、七九〇円の三割を減じた一五九万一、六五三円を以つて被告に責を負わすべき賠償額とするのが相当である。

四  原告が政府の自動車損害賠償保障事業より損害の填補として七八万円の支払を受けていることは当事者間に争いがないから、これを前記一五九万一、六五三円より控除すれば、八一万一、六五三円となること計数上明らかである。

五  然らば、被告は原告に対し、右八一万一、六五三円およびこれに対する本件事故発生の日の後である昭和四三年七月一日以降支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

六  よつて、原告の請求は右認定の限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 人見泰碩)

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